STORY歩み、仲間

2020.03.30 山神という名の由来
1000年の村・佐那河内

「山神」というのは、全国的に「山の神の総称」なのだそうです。「山神は特別なところだよ」と、村の方も話してくれました。山神果樹薬草園の敷地内にも祠(ほこら)があります。いつつくられたものなのか、どんな神様をお祭りしたものなのか、詳しいことは何もわかりません。ただ、「祠があるというだけで、『神様の土地をお借りしている』『ここを大事にしよう』という真摯な気持ちになります」と、スタッフは語ります。山神果樹薬草園の仕事に取り組むようになってから、私たちは「自然の恵み」にこれまでよりもっと、畏敬の念を抱くようになりました。

村史によると、佐那河内村は後一条天皇の時代、1021年~1024年に誕生し、間もなく1000年を迎えます。根郷という地区には古墳が残されていることから、それ以前の古代から開拓されていたようです。古い時代、徳島は粟の国と長の国に分かれていました。佐那河内村は長の国に属し、佐那県(さなあがた)といわれ、国の中心となっていました。(参考文献:『佐那河内村の伝説』[西田素康・湯浅安夫、2002])

そもそも佐那河内村は、古事記由来の神様が坐す御社が多い村です。開運武運長久の守護神である天岩戸別(あまのいわとわけ)神社、天照大神、月讀命(つきよみのかみ)、大白星神を祭る嵯峨天一(さがてんいち)神社、災厄抜除の女神を祭る朝宮神社、日本で唯一、藍の神様を祭る猿田彦神社、村の総氏神である大宮八幡宮。そして、山神果樹薬草園のある山の頂上近くには、御間都比古(みまつひこ)神社があります。

御間都比古神社は平安時代、897年~930年の醍醐天皇の時代に延喜式小社に叙せられた、格式の高い神社です。初めて佐那県に住み暮らし、山や野原を開墾して水田の基礎を起こし、徳島の海辺の民には漁業を教えて産業を開発したとされる長の国の祖神、観松彦色止命(みまついろとのみこと)が祭られています。「鳥居の正面に植えたら何でも枯れてしまう」という言い伝えがある、村内随一のパワースポットです。